カテゴリー: ESSAY

  • 新年のご挨拶

    新年あけましておめでとうございます。

    皆様、良い新年を迎えられたでしょうか。
    2017年は、世界のいく先がより不透明に感じられる種々の出来事が相次いで起こり、北欧の小国も世界的な流れに翻弄されているように思われることが多々ありました。移民や難民の問題も解決の糸口が出ているとは言いがたく、民族間の対立もより深まってしまっているような印象も受けます。一方で、日本とデンマーク間を見ておりますと、また違った国際的な動きが見られたと言えます。2017年は、デンマークと日本の国交樹立150周年として、日本とデンマークを舞台に、外交・産業・芸術・学術のあらゆる分野で約70もの交流やイベントが実施され、デンマークにおける日本への関心もより高くなっているように感じられました。金唐革紙のワークショップや日本酒の紹介イベントを始め、いくつかのイベントには北欧研究所も関わり、微小ながら両国のより良い関係の構築に貢献することができたのではないかと感じています。
    北欧研究所は、引き続きデンマークの文化政策、ビジネスとアートの融合、フィンテックなど、興味深いイノベーションのタネに注目し、今まで以上に多種多様な点から北欧情報を調査分析し、日本と北欧のよりよい関係性に貢献していきたいと思っています。さらに、日本と欧州のEPAの締結が見込まれ日本への関心が高まっている現在、北欧の人達の日本への興味の種が育って行くように、文化・経済・政治の分野からサポートをしていく所存です。
    日本からは、北欧は幸せな社会という評価を得ています。2017年には、デンマークでよく使われる「ヒュッゲ」が世界的な注目を浴びました。私は、13年の北欧生活を経て、現在、本当に幸せに満ち溢れた社会というのは、コミュニティの住人が模索し努力を重ねた結果、初めて勝ち取れるのものであり、継続して努力し続けることで維持できるものだと考えるようになりました。私たち北欧研究所は、そんな北欧の試行錯誤から学べることを伝達すること、そして、日本がよりよい幸せな国となるように、日本流の「幸せのかたち」を模索できるような幸せへのヒントを提供していきたいと思っています。2018年が、多くの人が、幸せの形をそれぞれの社会がそれぞれなりに模索し始めた年と、のちの社会的で言われるようなそんな新たなきっかけになってほしいと切に願っています。
2018年も、北欧研究所(japanprdic)に変わらぬご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

    北欧研究所代表 安岡美佳(やすおか みか)

  • インターン体験記:津久井柚花

    昨年の9月から12月までの3か月間インターン生としてお世話になりました。

    私がインターンを始めた理由は、ただ日々生活して感じるだけではなく、デンマークについてより深く知りたいと思ったからでした。
    結果、デンマークについて知識を得たのはもちろんですが、ただデンマークはいい国だっただけで終わっていただろうことが、インターンをしたことによってその背景にはどういった取り組みがあるのか、自分はデンマークから何を学べるか等、今まで興味のなかったことや新しい考え方を学ぶきっかけにもなりました。

    例えば移民や難民について調べた際に、以前までこれらの分野に興味がなかったものの、調べていくうちに興味が出てきて、実際ドイツやデンマークの人たちに彼らを受け入れることをどう思うのか聞いたことで、日本では感じることができなかった思いを知ることが出来ました。
    自分の興味のあった自動車の分野でも、自分がしたいことをどんどん挑戦させてもらえたことで、自分が知りたかったもの以上のことを得ることが出来ました。

    住んでいた町から毎週コペンハーゲンに行くのもひとつの楽しみでしたが、日本から様々な思いでデンマークに来ている方たちと交流することもとても刺激的でした。
    私自身日本が好きで今後も日本に住んでいたいと思っています。しかしこうやってたまに海外で生活したり、全く違う考え方を持っている人たちと関わることで、自分自身の成長に繋がっていくとも実感しています。

    今回、インターンを通してそういったことを学ぶ機会を本当にたくさん与えてもらいました。3か月という短い間でしたが、得たものは多く後悔なく日本に帰国できました。今後は日本でこの経験を生かしていきたいと思います。
    短いながらもご指導、アドバイス、日々の生活の何気ない話まで、素敵な機会をいただき、本当にありがとうございました。

  • インターン体験記:鵜飼麻未

    インターン体験記:鵜飼麻未

    2017年3月から12月までの約10か月間、北欧研究所でインターンとして働いた。

    インターンを始めたきっかけは、以前コペンハーゲン大学に留学し、同じくインターンを行っていた先輩に話を聞いて興味を持ったことであった。インターンを通して新しい経験をし、人脈を広げ、何よりデンマークについて深く知ることができると考えた。北欧研究所での経験は私にとって新しく刺激を与えてくれたものばかりであり、多くのことを学び、私よりもはるかに人生経験が豊富な人や幅広い分野に興味を持った人と出会う機会を与えてくれた。通常の業務は主に、企業から調査依頼を受けて行う委託調査、Facebookページでのニュース更新、デンマークの社会や文化に関して個人の興味・関心に沿って調査する個人テーマの三つに分かれた。それまでインターンをした経験がなかった私は、インターンとして働くということはどういうことかを知り、さらに調査を進める中で、文献やウェブサイトの調査方法、レポート・エッセイの書き方、デンマークの社会制度について学び、それを日本の現状と比較・検討して問題意識として捉えることもあった。またエッセイ執筆を通して、今までは文章を書くことが苦手だったが、文字に起こすことで自分の考えを整理できそれに対する理解が深まることを学んだ。

     

    様々な活動を通して一番印象に残っているのは、金唐紙のワークショップである。そこで修復師という仕事や日本の伝統工芸の現状について知った。私でも知らなかった日本の文化・技術が遠い国デンマークで注目を浴び大切に保護されている現状に驚き感銘を受けたとともに、世界に誇るべき日本の文化や伝統を、日本人を含めより多くの人に知ってもらいたいと強く感じた。そしてデンマークの文化政策・制度に加えて保護活動をする修復師についても興味を持ち、その後個人的に調査するに至った。

     

    さらに長期休みには、無理を言ってお休みを頂き、ヨーロッパ一人旅、ボランティア活動を経験する機会を頂いた。そこでは、大学での学びを通しては得ることができなかったこと、特に、自分自身の好きなこと、得意なこと、苦手なこと、長年悩みとして抱えていたことに気づき、時間をかけて向き合うことができた。

     

    北欧研究所での業務は、担当を割り当てられて取り組むものもあるがほとんどは「やりたい」と手を挙げれば、周囲のサポートを受けながら自分で時間を管理して取り組みやすい環境にある。さらに、幅広いコネクション、長年の経験や知識、ノウハウが備わった環境において、自分の興味・関心に沿ったことを調査できることはとても恵まれているし、貴重であると思う。その中で、時間をどう活用してどれだけ自分のやりたいことを実行できるかはその人次第で、限られた時間の中でも行動に移して努力したものは結果として実を結ぶことを実感した。10か月間は長いようであっという間であったが、失敗や葛藤も経験しながら行動して学んだことは、自分にとって何よりも大きな収穫となった。

     

    最後になりますが、長年の経験やノウハウを駆使して私たちに新しい体験をする機会を与えてくださり、お忙しい中時間を割いてレポートやエッセイのチェック、アドバイスをしてくださったスーパーバイザーである上司の方には感謝しかありません。そして、北欧研究所の活動を通して出会った方々、一緒にインターンとして働き、モチベーションを高く持ち楽しい時間を共有してくださった皆様、本当にありがとうございました。

  • 金唐紙ワークショップに参加して

    金唐紙ワークショップに参加して

    9月18日から20日にかけてコペンハーゲンで行われた、日本の伝統工芸「金唐紙」のワークショップに北欧研究所のお手伝いとして参加した。日本の金唐紙研究所で活動する職人の池田氏と奥様がデンマークに招待されて、デンマークで活動するアーティストや学芸員、修復師の方々、一般人に向けて、実際に金唐紙制作の作業工程が体験できるワークショップ、金唐紙の歴史についての講演を行った。

    デンマークで伝統工芸や建造物等の修復を行う修復師の団体が今から一年ほど前、コペンハーゲン中心部のKongs Nytorvのお屋敷で日本のものと見られる金唐紙の壁紙を発見した。金唐紙についてはどのように作られて西洋に技術が渡ったのか等正確な情報が得られておらず、更に知識を得たいという目的のもと今回のワークショップ実現に至った。金唐紙を制作するには、和紙に金箔を張り付けたものを竹や花がモチーフとなって彫刻されている木製の型に押し付けて、ブラシを用いてたたき、模様を紙に押し付ける。模様が浮き出てきたら最後に色をつけ、漆を塗って乾かして完成。私も初めて体験させてもらったが、特に紙に模様をつけるためにブラシでたたく工程では、長時間ブラシで叩き続けなくてはならないのと、ブラシが紙に対して垂直に当たらなければきれいに模様が浮き上がらないので、逐一確認しながら叩かなければならない点が大変であった。模様が描かれている木製の型は、新しい作品を制作する場合や修復の際に型が見つからないものや古い型で使えないものであった場合に、池田氏がご自身で彫刻するようである。今回は池田氏が日本からいくつか持参したものを使用した。

    このワークショップに参加するまで金唐紙を見たこともなく知識もなかった私にとって、遠く離れたデンマークで日本の伝統技術を守ろうと興味を持ち、保存のために活動している団体が存在すること、そして実際に作品が何百年も保存されていることに大変感銘を受けた。さらに、デンマークの修復師の活動や国を挙げた伝統芸術への支援制度の充実性に興味を持ち、日本の伝統工芸継承の現状や問題点、将来についても考えさせられることが多くあった。特に金唐紙は各工程で日本独特の和紙や漆が使われていて、例えば最初の行程で使う和紙に関しては、日本原産のものは丈夫で、木製の型に押し付ける際にも破損しないような強さを持っているが、海外のものは日本のものに比べて薄く、それほど丈夫ではない。実際に、デンマークで壁紙として使われている金唐紙の修復の際には、海外のものが付け足されている場合もあると修復師の方から伺った。デンマークの修復師の方々はその点も理解していて、日本の和紙や漆に対する知識も持ち合わせており、できるだけ日本のものを使おうとしている姿勢を感じた。日本の伝統技術が広く海外にまで伝わりより多くの人の目に触れられることは、製作者にとっても私たち日本人にとっても誇り高く喜ばしいことであると考える。しかし、正しい知識や技術が何らかの過程で伝わった先にとって都合がよく便利な形に変化されてしまったり、製作者や伝統継承者の作品に込めた想いが本来とは違う形で受け取られてしまう可能性も考えらえるかと思う。その中で、今回のように実際に技術を継承する方と修復師の方々が直接交流し、本来の技術に対する知識を深められる場を設けることは、今後伝統技術を継承していく上でとても重要な役割を果たすと感じた。また、今回の池田氏のように技術を伝える側にとっても、日本の伝統芸術という視点から見たときに、何が正しく理解されていてどのような点で誤解が生じているのか、これからの継承に関する課題や解決策を考えるといったような問題意識に繋げられると感じた。

    デンマークでは修復師を養成する学校があり、厳しい審査を通過したアートスクールの学生が伝統工芸や建築物の修復を行ったり、政府が資金を援助して国全体で芸術を継承していこうという動きがある。しかしながら日本を考えてみると、伝統工芸の後継者の人手不足や社会の関心の低さ等の問題が山積している。さらに、世界の中で見ても政府からの助成金は少額で、支援に力を入れているとは言えない。今後デンマークの修復師の活動や歴史、教育システムについて調査していく中で、日本の伝統工芸の現状、問題点への解決策とを関連付けて考察していきたいと考える。

     

  • ボランティア活動を通して学んだこと

    ボランティア活動を通して学んだこと

    7月の後半から八月の後半まで約一か月、長期休暇を利用してデンマークのステンズバックという地域でボランティアをした。春セメスターの授業が6月で終わり、約3か月の長期休暇を、日本や留学先の大学生活ではできないようなことを経験し有意義なものにしたいと考え、ボランティアをすることにした。

    ボランティアをしていた地域はユトランド半島の南、ドイツとの国境に近くに位置し、留学生活で普段住んでいるコペンハーゲンとは全く違う、正直に言って超がつくほどの田舎であった。周りには牧場や森が広がり、一番近くのスーパーまでは歩いて40分はかかるほどである。ボランティアをしていた施設は、ヨガやピラティス等をしながらベジタリアン生活を通して心と体の健康を目指すというコンセプトのもと、毎週20人ほどのゲストを受け入れ、ゲストのために食事の準備をしたり掃除をするのが主な仕事であった。この施設を選んだ理由は、私のほかにボランティアが多くいること、世界中からボランティアが集まっていたこと、ボランティア同士のアクティビティが活発で自然の中で暮らせること、ベジタリアン生活を経験して見たかったことであった。ボランティアは私のほかに15人ほどいて、デンマークのほかに、スペイン・オランダ・レバノン・メキシコ等世界中から集まってきていた。一日約5時間の仕事でおおまかに朝・昼・晩の三つのシフトに分かれて働いた。さらに、仕事が終わった後や夜にはみんなで集まってゲームをしたり、映画を見たり、パーティをしたりと交流が活発であった。

    この施設では毎朝ボランティアが全員集合してミーティングをした後、天気が良い日は外で、雨や天気が悪いときは体育館の中で、皆で輪になって手をつなぎ、一人ずつその日の気分(幸せ、悲しい、良く眠れた、疲れている等)を言うのが日課であった。はじめはこの習慣に驚きと戸惑いを感じ、何を話せばよいのかわからなかった。自分の本当の気持ちに向き合おうとはせずに、当たり障りのないことや皆が聞いて無難だと思うこと(よく眠れた、今日も仕事を頑張りたい等)を話していた。それはおそらく、自分の本当の気持ちを話したら周りがどう思うかを気にしていて、自分の気持ちに向き合うことを避けていたからだと思う。思えば私は今までの人生で、他人の気持ちばかりを気にして我慢した結果、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうことがあり、それが悩みでもあった。たとえば、数人で分担して作業をするときに、自分が何をしたいかよりも他の人が何をしたいかを先に聞いて、自分がやりたくない役割でも引き受けてしまう。最初はその役割をこなすものの次第にそれが嫌になってきた場合でも、自分の気持ちを言ったらどう思われるか心配したり、自分が我慢することによって周りが上手くいくのなら自分の気持ちは言わなくても良いだろうと自分の中で完結させてしまったり、また時には周りはどうして気づいて交代しようとしてくれないのだろうかと周りのせいにして一人で考え込んでしまうときもあった。覚えている限りかなり幼い時からこの癖が体に染みついていたので、大人になるにつれて自分が本当は何がしたいのか自分の気持ちがわからなくなってしまうことが多々あった。しかし約一か月間毎朝この習慣を続けていくうちに、次第に自分の気持ちを他人の前で素直に表現し、言葉にできるようになった。それは、自分の気持ちに正直に向き合い自分の気持ちを尊重することは大切だということを学んだからである。今までは自分の気持ちを正直に言って周りに心配をかけてしまったり気を遣わせてしまうのは悪いことだと思っていたが、自分が何も発信しないで一人で抱え込むことによって我慢したり嫌な気持ちになることが、逆に他人に気を遣わせたり、周りにその悪い雰囲気が伝わってしまうということに気づいた。それまでは、「自分の視点から」他人の気持ちに配慮して気を遣うということしかできていなかったのが、今では「他人の視点から」その人の気持ちに寄り添うことができるようになったと感じる。そのことに気づき、自分の気持ちに本当の意味で向き合い、素直にそれに従うことができるようになるのは私にとって簡単ではなかったが、周りのボランティアの人が支えてくれたおかげで自分の凝り固まった考え方を変えることができた。自分が今まで悩んでいたことを話すとみんな親身になって相談に乗ってくれ、アドバイスをくれた。こんなことで悩むのは恥ずかしい、今更正直に言う必要もないと思っていたのが、みんなが私のありのままの姿で受け入れてくれて、自分が一番大切なんだよということを教えてくれたおかげで、正直な自分を表現することに抵抗を感じなくなった。

    このボランティアの経験では、新しい視点を得て、何よりも自分自身がさらに成長できたと感じられた。素晴らしい人たちと出会うことができて、彼らの良いところをたくさん吸収できたのではないかと感じている。たくさん相談にのってもらった中で一番印象に残っているのは、何か選択をするときに自分が何をしたいのか、本当の気持ちがわからなくなったときに、自分に問いかけるべきことがあるということ。それは二つあって、まず、なぜ自分はそれをしたいのか、そして次にそれをしたら自分はどう感じるのかということである。その時に注意するのは、「こうするべき」や「こうしたら他人が喜ぶから」等、自分の気持ちではないことは答えにはしてはいけない。普段からこれが自然にできている人にとってはわざわざ考えなくても済むようなものであると思うが、私にとってはこれを自然にできるようにするには練習が必要であった。しかしその習慣をつけることによって自分の思考方法が変わって、今までとは違った視点を持って物事を捉えられるようになり、些細な事でも我慢することなく自分に正直に行動できるようになった。ボランティア活動では多くの出会いと新しい発見があり、自分の成長へとつながる価値あるものとなった。

     

  • 金唐革紙調査支援とイベント通訳

    金唐革紙調査支援とイベント通訳

    北欧研究所は、デンマークコペンハーゲン市の修復士からの依頼を受け、日本における金唐革紙調査サポートを2016年秋、その後、日本の有識者を招聘しての金唐革紙の制作ワークショップのイベント立案、2017年9月18日から20日のイベント通訳を行いました。 (さらに…)

  • インターンを終えて

    インターンを終えて

    私は約半年間、北欧研究所でインターンとして活動させていただきました。

    短い期間ではありましたが、その中でも大変多くのことを学ばせていただきました。

    (さらに…)

  • 5つのキーワードで知るデンマーク映画

    5つのキーワードで知るデンマーク映画

    2016年の日本におけるデンマーク映画の上映数は3本。他国との共同製作作品を合わても10本だ。しかもそのほとんどが単館系作品であり、マニアックな層をターゲットとしている。デンマークの映画なんて見たことないという日本人も多いだろう。しかし、実際は、奥深い歴史を持ち、同時に、今日のドキュメンタリー映画界に大きなイノベーションを起こし続けている。今回は、デンマーク映画を語るのに欠かせない5つのキーワードをもとに日本人にとってミステリアスなデンマーク映画の世界を紐解く。 (さらに…)

  • デンマークの文化政策から感じたこと

    デンマークの文化政策から感じたこと

    デンマークに住み始めて、文化、特に芸術面に関する事柄で日本と大きく違うと感じることが多々あった。例えば、多くのデンマーク人は特に芸術を専門にしていなくても芸術に対する知識が豊富で芸術に対する関心・意識がとても高い。また、美に対するこだわりも強いようで、例えば私の周りの友人の多くは普段の何気ない、自分のために作る昼食一つに対してもとても見栄えを気にする。一般のデンマーク人が描いたスケッチひとつにしても、日本人には思いつかないような発想や色使いで、どうしてこのような違いが生まれるのかだろうと疑問に思うことがあった。そのような中、デンマークの文化政策について調べるうちに、感じたことや気づいたこと、それらの答えの手がかりとなり得るものがいくつかある。

    まず、日本との大きな違いを感じたのは、デンマークの文化政策の根底に「文化活動に触れる機会はみなが平等に持つべきである」という概念が存在していることである。文化活動に触れる機会がみなに平等に与えられるように政策がデザインされている。例えば、デンマークでは芸術に関する主要教育機関の授業料が基本的に無料であり、入学に際しては試験を受けることが条件となっている。対して日本では、芸術専門の学校に行くとなれば普通科の学校に行くよりも多額の授業料が必要となる。この点、デンマークでは環境や境遇によらず、みなが等しく芸術活動に関わる機会が与えられていると言うことができる。さらに、デンマーク人は平均して個人が美術館や図書館といった文化施設に足を運ぶ回数が多く、ここからもいかに芸術に高い関心を持っているかがわかる。結果的に普段から芸術に携わる機会が多くなり、多くの知識を得ることができるのだと考える。しかしながら、”Compendium cultural policies and trends in Europe”によると、高所得者と低所得者の間には文化施設に足を運ぶ頻度にいまだ差があり、その差を埋めることができるような政策を取り入れることも今後の課題の一つとなりそうである。

    加えて、デンマークの文化政策にかかる予算は世界の中でもトップクラスのレベルで多い。それらは文化施設や重要文化財の修復費や芸術活動に関わる宣伝費、伝統芸術の保護費そして芸術活動やアーティストを支援する費用などに充てられている。デンマークでは1960年代に「アームスレングスの原理」というものが文化政策に用いられるようになったが、これは芸術に政府や政治家の干渉が及ばないようにするための決まりである。よって、デンマーク政府は予算を使って積極的にアーティストの育成や活動、さらに芸術を後世に継承していくことにも力を入れている。その例として、多くの人が訪れる美術館や博物館を重要文化施設に指定して、それらと私的スポンサーとの連携を深めることを支援している。その形態はさまざまだが、スポンサーに免税制度を適用してアーティストの活動を支援するように促すこと、公的財団を利用してアーティストに補償金を与えるなどがこれに当たる。日本の場合を考えてみると、まだまだ国全体で文化財を守っていくという意識が低いように思われる。そのため、日本政府が文化政策にかける予算はデンマークと比べてとても少ない。これはおそらく、日本人の考えの中には「文化財は国の遺産であり、国民が協力して守っていくべきである」という発想が浸透していないからであると思われる。これとは対照的に、デンマークでは政府が中心となって芸術への支援を行い、文化を継承していくための仕組みが確立されている印象を受けた。日本ではもしかしたら「芽を摘まれてしまうかもしれない」アーティストも、デンマークでは活躍できる可能性がより確保されていると言えるかもしれない。先で述べたデンマーク人と日本人の間の美的感覚の違いについても、世間の評価を気にすることよりも自分の美学を貫く姿勢が身についていることから生じるものかもしれないと思った。

    今回の調査は、デンマークと日本の文化について私が日常感じていたような小さな違いから国家の方針といったような大きな違いについて考える機会となったと同時に、デンマーク社会を更に知る良いきっかけとなった。

    (鵜飼麻未、北欧研究所インターン)

    参照:

    • Peter DUELUND, Bjarki VALTYSSON and Lærke BOHLBRO, “Compendium cultural policies and trends in Europe” ,2012
  • インターン体験記:小川桃子

    私は北欧研究所で約半年間、インターンシップとしてお世話になりました。

     

    デンマークに来るまでの北欧に対するイメージは、税金が高い、福祉国家、寒い地域などと抽象的なイメージでした。しかし、実際にデンマークで生活し、そして北欧研究所という場所で、様々な分野の調査をするにつれ、本当の北欧デンマークが垣間見えた様な気がします。 (さらに…)

  • デンマーク郵便事業の危機

    デンマークとスウェーデンの通信・運輸業を司っているPost Nord社は2016年の決算で15億クローネにも及ぶ赤字を報告し、政治家たちが2月22日に緊急会議を招集する事態になった。国有企業である同社は、所轄の大臣が社を代表することとなり、救済策を提示することが求められる。そのため、所轄する運輸・建設・住宅省のオーレ・ビアク・オーレセン大臣は、大きな課題を突き付けられている。 (さらに…)

  • カーボンニュートラルな国へ:電気自動車の可能性

    カーボンニュートラルな国へ:電気自動車の可能性

    [クリーンな国デンマーク]

    北欧の国デンマークは、再生可能エネルギーの普及が進んでいることで有名だ。その中心を担っている風力発電は2015年には総電力消費量の42.1%を賄うまでに成長した(ENERGYNET.DK)。世界的にもクリーンな国として知られるデンマークだが、2012年政府はエネルギー供給の100%を2050年までに再生可能エネルギーで賄うという目標を掲げる長期エネルギー計画を発表した。この目標を実現するためには、再生可能エネルギーの普及といった今までのような政策だけでは難しい。鍵を握るのは電気自動車(EV)だ。

    (さらに…)

  • デンマークの都市計画の紹介/古賀元也 大学教員・博士(工学)

     皆さん,初めまして。私は20164月から1年間,コペンハーゲン大学で客員研究員として都市計画の研究に取り組んでいます。このエッセーでは私のデンマーク生活,研究活動を通じて,デンマークの都市や建築について執筆したいと思います。あまり聞きなれない言葉かもしれませんが,都市計画とは子供から大人,お年寄り,健常者,障がい者といったすべての主体が都市空間の中で「住む」,「働く」,「休む(憩う,遊ぶ)」,「動く」の活動が安全に,快適にできるように計画,運営するものです。そのジャンルは都市の再開発,都市交通,景観デザイン,人口問題,地球環境問題,そして法律など幅広く,対象とするエリアは中心市街地から郊外,中山間地域まであります。 (さらに…)

  • インターン体験記:延原拓哉

    インターン体験記:延原拓哉

    北欧研究所でのインターンシップは、私のコペンハーゲンでの留学生活において、今まで知らなかったことにチャレンジする機会を与えてくれました。

    (さらに…)

  • 北欧研究所で創造した自分だけの軸

    北欧研究所で創造した自分だけの軸

    日本から遠く離れた国、デンマークでのインターン。交換留学を始めた2015年9月から終了の翌年7月まで本格的に北欧研究所での活動に携わらせて頂いた。 (さらに…)

  • デンマークではなぜ若い世代にオーガニック消費が広がっているのか

     

    デンマークはオーガニック食材の市場シェアが7.6%と高く(EU加盟国の中でトップのシェア率)、スーパーマーケットに買い物へ行ってもオーガニック食材のマークである「økologisk」マークの付いた食材を見かけることが多い。
    また、2014年度において、年代別の統計でみたときには、29歳以下のオーガニック食材のシェアが10.3%と、ほかのどの世代よりも上回る率となっていることも分かった。[1] なぜ、今デンマークでは若年層においてオーガニック食材のシェアが広がってきているのだろうか?デンマーク政府によるオーガニック教育政策と、格安スーパーなどでの取り扱いや価格などの視点から考察する。

    (さらに…)

  • 「デンマークにおけるマタニティハラスメント」を公開しました。

    「デンマークにおけるマタニティハラスメント」を公開しました。

    「デンマークにおけるマタニティハラスメント」を公開しました。

    本エッセイは、北欧研究所のNoteで見ることができます。

  • 幸福とは? Vol.6 デンマークのアートから見る幸福観―番外編

    幸福とは? Vol.6 デンマークのアートから見る幸福観―番外編

    『幸福とは? Vol.6 デンマークのアートから見る幸福観』の記事本編はこちらから

     

    最後まで読んでくださった読者の皆様に、有子さんが教えてくださった非常に貴重なエピソードをここで紹介したい。以下の文章は、有子さんの会話体とする。 (さらに…)

  • 幸福とは? Vol.6 デンマークのアートから見る幸福観

    幸福とは? Vol.6 デンマークのアートから見る幸福観

    学校や図書館、病院など、デンマークには至る所にアートが溢れ、週末には、コペンハーゲンから北に約35km離れたルイジアナ現代美術館へ多くの人が訪れる。デンマーク人の幸福観を語る上で、アートは最も需要な要素の1つと言えるであろう。 (さらに…)

  • 【企業インタビュー:アウトソーシング企業 ISS】 企業が多様性を促進させる訳とは

    【企業インタビュー:アウトソーシング企業 ISS】 企業が多様性を促進させる訳とは

    デンマーク発のアウトソーシング企業であるISSは、企業戦略として積極的にダイバーシティを促進している(前回記事を参考)。この取り組みは、女性の社会進出が進み、また移民との融合を模索するデンマーク社会の縮図のように感じられる。今回は、ダイバーシティ化についてISSデンマークにインタビューを行った内容を基に、企業の多様性について考察する。インタビューは、2016年、2月26日に、コペンハーゲンにて、ISSデンマークの広報担当アンネ・アンカー氏に行った。 (さらに…)

  • 日本とデンマークの留学事情 vol.1 

    日本とデンマークの留学事情 vol.1 

    「留学」という世界的なトレンド

     経済のグローバル化が進む中で、国境を超える学生が世界的に急増している。OECDの統計によれば、他国の高等教育機関で学ぶ学生数は300万人(2007)から450万人(2012)と、わずか7年で1.5倍になった。「留学[1]」は、日本とデンマークにおいても政策レベルで議論されるテーマとなっている。

    (さらに…)

  • スウェーデンの物乞いは何者か ~PART1~ -ロマという民族について―

    “Hej hej(スウェーデン語でこんにちはという意味)~!”

     

    地面に座ってコップに入った小銭をジャラジャラ。スウェーデンの大学都市ルンドでは、スーパーなどのお店の前では必ず「彼ら」が通行人にお金をたかっている。私は社会福祉のイメージを持っていたスウェーデンに留学に来た当初こそ、彼らが目に付き対応に困っていた。だが、だんだん無視するようになっていた。 (さらに…)

  • 幸福とは? Vol.5 デンマーク人のギャップ・イヤーから見る幸福観

    幸福とは? Vol.5 デンマーク人のギャップ・イヤーから見る幸福観

     『幸福とは? ギャップ・イヤーについてのインタビュー』という記事を執筆するにあたり、3人のデンマーク人に彼らの自身経験や、ギャップ・イヤーに対する考え方をインタビューした。現在、彼らはギャップ・イヤーで培った経験、キャリア、そして、考え方を存分に活かし、自分たちの道を力強く突き進んでいる。 (さらに…)

  • ロボットの活用法と「リビングラボ」という仕組み

    ロボットの活用法と「リビングラボ」という仕組み

    昨年末に執筆した記事が、デンマーク日本人会の会誌に掲載された。題して、「福祉テクノロジーを醸成、リビングラボの挑戦」。デンマークにおける福祉テクノロジー事情と新しい実証実験のカタチ「リビングラボ」について執筆したものです。見開き2ページの短い記事ですが、新技術を社会に導入する際の課題、さらに社会に技術導入をより望ましい形で実現するための方策「リビングラボ」について解説しています。

    (さらに…)

  • 光がテーマ、スマートシティの取り組み

    光がテーマ、スマートシティの取り組み

    2日間に渡るJLMA日本照明工業会の視察において通訳及びアテンドを実施しました。現在、コペンハーゲン市を中心に街路灯の取り替えが進み、同時に、「あかり」をスマートシティの基幹情報ネットワークに活用する方策が模索されています。光という切り口で、未来が見えて来る、そんな新しい動きの一端がが日本視察団に紹介されました。

    (さらに…)

  • 幸福とは? Vol.4 ギャップ・イヤーについてのインタビュー(3)

    幸福とは? Vol.4 ギャップ・イヤーについてのインタビュー(3)

     連載中の記事、『幸福とは?  ギャップ・イヤーについてのインタビュー』シリーズに引き続き、今回は、大学入学前に1年間のギャップ・イヤーを取ったコペンハーゲン大学日本語学科3回生のJosefine Amalie Prætekjær (ヨセフィネ・アマリエ・プラステケア)さんに彼女の素晴らしい経験と幸福観についてインタビューをした。以下の文章は、B:林、J:ヨセフィネ の会話体とする。 (さらに…)

  • 生徒たちとデザインする中学校の庭 “Our Project”

    生徒たちとデザインする中学校の庭 “Our Project”

    コペンハーゲン近郊にあるフォルケスコーレ(小中一貫学校の義務教育機関)の庭をデザインする機会を頂いた。この話は普段仲良くさせて頂いているフォルケホイスコーレ(成人教育機関)のひとつ、クローロップホイスコーレから間接的に頂いたため、直接フォルケスコーレの方と話したわけではないが、現在使われていない庭が校舎裏にあり、そこを子どもたちが遊んだり野外学習したり出来るような場所として生まれ変わらせてほしいという要望のようである。 (さらに…)

  • “作曲”が私と世界をつなぐ デンマークの日本人作曲家・吉田文さんインタビュー

    “作曲”が私と世界をつなぐ デンマークの日本人作曲家・吉田文さんインタビュー

     現在デンマーク音楽院大学院の作曲科へ通い、デンマークを中心としてヨーロッパなどでもコンテンポラリー音楽の作曲家として活動されている吉田文(よしだあや)さん。2016年3月には、自身の作曲した「Double-face」がDanish Radio Symphony Orchestraによって演奏されメディアでも高い評価を受けるなど、着実に活躍の場を広げられています。そんな彼女にとっての作曲活動というものについて、また音楽・作曲活動を通じたデンマークという国についてお伺いしました。

     

     

     “作曲”のプロセス

    ”作曲家”が普段どのように”作曲”をしているのかということについては、イメージがなかなかつかない方も多いと思います。そのプロセスから少しご紹介させていただきますね。

    まずは作曲の依頼が入ります。曲にもよりますが、依頼を受ける際に演奏時間が決まっていたり、現実的な制約が先にくる場合が意外と多いです。自由に作曲するのは好きなのですが、今は制約があって、その制約を逆の発想でとらえることによって新しいアイディアが浮かぶという感じです。そしてそのアイディアを、言葉や点を使った絵などを使い、音ではないもので表現しながら膨らませていきます。

    そして次に実際に音にしていくプロセスとなるのですが、これが一番時間がかかります。どのように音符を書いたら実際にどのように楽器が演奏され、どんな音楽になるかというステップを一気に想像しながら書かなければいけないので*、イメージから五線譜の上に音符を書き出す瞬間が一番大変な作業です。音楽全体の構成を作っていくのが最初のステップで、そこから少しずつ音を書いていきます。自分の中でハーモニーの表なども出来上がってきているので、それに少し数学的に番号を付けて、数列を使ったりしながら作曲したりもしますし、割と直感的にやりながらまたうまくいかなかったらやり直す、といった作業をしたりしています。この一人で作曲している時間が一番楽しいと感じますね。

    ここで清書して楽譜が完成となるのですが、完成してから曲として音楽を聴くのは、実際にリハーサルなどで演奏される時が初めてになります。なので最初のリハーサルが一番怖いですね(笑) そしてこの時に現実的な問題(息つぎであったり、技術的な限界であったり) が出てきて、その調整が入ります。でもそこで、自分のアイディアを押し通すか、それとも演奏家の気持ち良さを優先するかで、作品の仕上がりは大きく異なります。私達が作曲した「曲」は、演奏家さんたちというフィルターを通さないとただの「紙」で、彼らを通して初めて私の「音楽」になるので、演奏家さんたちとの関係はとても大事だと思っています。

     

    *オーケストラ楽曲の「Double-face」では52パートもの楽器の音をイメージしながら作曲を行っている。

     

    “自分には音楽しかない“

     私が音楽を始めたきっかけは、2歳のとき、ヤマハのリトミックのクラスに入ったのが最初で、ピアノやグループレッスン、作曲を始めたのは6歳になってからでした。作曲のレッスンは、当時のピアノの先生から勧められて始めました。年に1回ある小学生向けの作曲のコンペティションを目標として1年間を通して作曲をしていくというレッスンを、中学3年まで続けました。

     そのコンペティションでは、作った曲を自分で弾くというのが鉄則だったので、「弾けないもの、弾きにくいものは書かない」ことにしていました(笑) でもそれは今の私にとってもいい経験だったと思います。弾く側、演奏する側の気持ちをそこで知ることができました。また、エレクトーンのコンクールで課題曲を自由に選べるときに自分の曲を弾いた時には、自由に弾くことができてとても楽しかったことを覚えています。何か決められたことをやるよりも、自由にやることが当時からすごく大好きでした。

     当時から音楽を続けていることに抵抗が全くなかったわけではなく、むしろレッスンに行くのは嫌いでした。なぜ練習しなくちゃいけないのかもわからないし、毎日のように母と喧嘩していました。でもなんとなくですが、「辞める」という選択肢は当時から無かったですね。子供ながらに、自分にはこれ(音楽)しかないと思っていたんだと思います。小学校くらいの頃、あの子は走るのが速い、あの子は計算ドリルを解くのが早いなどそれぞれの個性がある中で、私にはそれが「音楽」だというのをどこか自覚していて、私は音楽があるから自分がここに居てもいいという風に感じていたのだと思います。

     

    デンマークで見つけた「私の音楽」

     実は私、デンマークに来てから最初のコンサートがあるまでの間、しばらく作曲活動をしていなかった時期があり、自分の”存在価値”が本当にわからなくなってしまったことがありました。

     当時私はデンマークでたった一人の「女性日本人作曲家」であり**、「女性作曲家」と「日本人作曲家」というふたつの大きな看板を背負わなくてはいけませんでした。その大きな二つの看板を背負っているというプレッシャーの中で、じゃあ“その中で自分は何ができるだろうか”、”自分は何者なのか”という新しい視点が生まれました。自分の中の何かが変わったわけではないですが、デンマークという土地に来て新しい視点が加わったことで、より深く自分を知ることができるようになった気がします。

     その後、久しぶりに曲を書く!となったとき、「今自分は何を書いたらいいのかな?」というところから、しっかりと自分を見つめなおして書くことができました。そしてそのコンサートの後、とあるおばあさんに声をかけられて、そのおばあさんに、「とてもあなたらしい”音楽”だったわよ」と言われて、ものすごく嬉しかったのをとてもよく覚えています。そんな風に表現してもらえたのは初めてでした。“ノイズ”ではなくて“音楽”だったと言ってもらえたことがすごく嬉しくて、その時にやっと、「あ、自分はここに居てもいいんだ、私と音楽は共に在るんだな」と感じました。もう、音楽がないと、歩いているのも怖いと感じるくらい。作曲の時間をあけたことでちょっとリセットされたというか、生まれ変わったというか、新しい土地で新しい気持ちで書けた作品だったので、またそういった感情が強く出たのかなと思います。

     

    **入学当初、女性作曲家は1名のみ、日本人はもう一人(男性)がいた。今年度は女性は3名、日本人は吉田さんのみ。全体的にデンマークの女性作曲家は少ないそうです。

     

    デンマークから世界へ

     デンマークという国では、音楽という業界においても、非常に個人が尊重されています。やりたくないことはやらなくてもいいし、逆にやりたいことはどれだけやってもいい。同僚たちには全く競争意識もなく、たとえば人に自分の意見をひとつのアイディアとして伝えることがあっても、決して批判することはありません。それもとても心地よく、新鮮でした。また作曲家が作曲するための期間をしっかり与えられ、さらにその期間は尊重され、そこに充分な報酬も支払われる国は他になかなかありません。デンマークは、とても“作曲家が作曲家として生きていくことができる環境がある国”であると感じます。

     これから、卒業して2年くらいはまだデンマークを拠点にして活動を続けていきたいと思っています。私にとっての「作曲」とは、自分の世界を広めるためのひとつのきっかけなのかなと思います。これから、どういう風に自分の作品の可能性を広げていけるのか、自分の活動の方向性なども見極めながら、一番適した場所をゆっくり探していきたいと思っています。

     

     

     


    吉田 文 (よしだ あや)- 作曲家
    Aya Yoshida | Composer
    Website: https://ayayoshidacomposer.com/

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    デンマークの大学におけるサイエンスコミュニケーションの位置づけ

    デンマークでは大学の持つ役割として、研究・教育の2大要素に加え、知識・文化のリポジトリとして市民に対してのアウトリーチ活動に重きをおくようにと、大学の運営方針を定める大学法令:「The Danish Act on Universities (the University Act)」により定められている。その為、デンマークでは研究者が直接市民との対話を行う、所謂”サイエンスコミュニケーション”がさまざまな形で活発に行われており、この”Science & Cocktails”もまたデンマーク(コペンハーゲン)を代表するひとつの若者に人気のある、そして非常にアクティブな科学者と一般市民の交流の場となっている。

    (さらに…)